#43 2012年3月福島にて#2

原発から20㎞圏内ラインが村内にかかる川内村に演奏&交流のためやってきた。

川内村は海には面していないものの太平洋からはほど近く、福島第一原発のある大熊町のとなり町という、ひと山越して内陸に入ったという感じのところである。
去年の震災時は大熊町から多くのかたが避難し、
そしてさらにその後、この川内村そのものも避難せざるをえなくなったという事情をかかえている。
太平洋から少ししか離れてないんだし、温暖なところなんだろうなぁというイメージとはうらはらに標高が高いので高原特有のきびしい冷え込みで冬はほとんどマイナス気温というところ。(もちろん夏は涼しい!)
でも、秋田と違って雪はほとんどない...ということだったが、
ここしばらく福島地方は大荒れで大雪のあとに来たせいか3月だと言うのにかなりの積雪があった。

渓流の支流沿いにケヤキが...。
わたしのイメージでは渓流というとブナ!というイメージだが、
ここではりっぱなケヤキがけっこうありました。
美しい村です。

ここは、福島でも著名な陶芸家のSさんが工房をかまえて長年住んでいる。
フォレスト・ノートの相棒、ブルースの長年のおつきあいのあるかたでもあります。

大規模な展示会を控えてるため作品は工房内には少なめであった。

いまだに余震の多い当地で、私などは少し恐さを感じたりもしていたのだが、
皆さんはもうすっかり「あ、また揺れたねぇ」などと慣れてしまったご様子。
耐性というかなんというか...よいことではない気がしますが...。

さて、次々と繰り出される奥様の天才的料理と秋田の地酒が大活躍!

Sさんは、とっても粋なかたで...
この日のために雪中の宴を準備してくれた。
雪見+月見の語らいの場を野外に設定してくれたわけだ!
このシチュエーションが、皆さんの胸にしまった想いを吐き出しての楽しい時間となった。
またまた、秋田の酒は大好評。ブルースもご満悦。

普段はそんな話をすることはほとんどないそうですが...
めずらしく自分たちのかなり深刻な震災直後の話も笑い話に変えて話せた。
私としては、『意外と元気で楽しくやってる』とかじゃなくて、
音楽もそうなんだけれど、いわゆる『解放された時間』が必要なんだなぁということを放送で伝えたかった。
光量が少ないためにその時の雰囲気はラジオのO.A.でお伝えした通りだが、
場所としては↓朝起きてみたらこんな感じなのです。う~ん、野外"掘りコタツ"!

朝、近くの高台に登ってみたり村内を約2時間ほど歩いてみた。

人口2000人の村に現在200人ほどが暮らしている。
4月には行政のほうでも村民の帰宅に向けて舵をきるとのこと。
だが、もともと300人の児童がいた小学校は10人ほどの学校となってしまうとのこと。

美しい村の風景。

だが人々がいなくひっそりとし、植物は妙に鮮やか。
コメントは難しい(?)ので控えるとして、風景の写真を並べます。






#42 2012年3月福島にて#1

なんと、おひなさまだったんですね...
福島に行く "こころの気負い"で忘れてました。

秋田を出発のときは晴れだったのにこの日の福島はなんと大雪
秋田から雪を連れてきてしまった!

福島市内にある浪江町仮設住宅にも雪が...。

演奏会は静かなものであったが浪江町のみなさんの貴重なお話を伺うことができた。
ふるさとの形は残っていても家族はばらばらになって...
お孫さんも遠くにいてなかなか会えず。
いろんなかたのさまざまで複雑な心のうちを聞かせていただいた。
一瞬のできごとがずーっと影響したまま。
その痛みをただ黙って聞いた。いや聞くだけしかできなかった、かな。
なにもしてやれない自分はなんのためにここに来たのだろう、と感じる。

福島市よりいよいよ沿岸部に向かう途中、かつてキャンプなどで来た、思い出のある飯舘町を通る。
当然ながらかつてバーベキューの材料を仕入れた産直センターも閉鎖されていた。
風景が痛い。

そう、震災数日後に降った雪などの不運が重なってここに放射線が多く降りてしまっただけ。
りっぱな家並みにひとかげはまったくなく、ただ仕事関係の場所のみ灯りがあった。
かつての人々のざわめきを考えると胸が痛くなる。どう言ったらよいのか。
また、言葉を失いそうになる。

南相馬市に入ると抜けるような青空になった。

ここでは公共の施設で「フォレスト・ノート」の演奏会が開かれた。
ベル・ヴィエントスのメンバーも南相馬の出身者がいるのだ。
感慨深いものがある。

当たり前ですが、相変わらず自分の演奏シーンは...撮れない。
尺八の「メリハリ」の話で日本人が日本語を教わるのはおもしろい。

この日は事前の告知のおかげで秋田に関係ある人たちが何人も来てくれた。
けっこう、秋田からお嫁さんに来ているかたとかいらっしゃるのにビックリ。

ブナの葉」を聴いてふるさとを思いだしてくれた。

演奏後はどうしても"食"のほうに。
グルメのブルース君がご推薦のそばやさん「吉蕎」さん。
特別に宣伝しちゃうけど、おいしかった~

どこまでも青い太平洋側の春の空は、逆に悲しさを孕んでいるように思えた。
美しい街並みなのに...子供の姿はほとんど見れなかった。

長くなってしまったので次回に続く...

#41 春の海

ひさしぶりに訪れた岩手の太平洋はとんでもなく美しかった。
2月の野田村から宮古山田町そして大槌町へ。

そう、春の海...出発前がコレ↓でしたから。

秋田は大雪の今年、まだまだ冬というのに太平洋側はちがうなぁ。彼我の差...。
でも、1年近く経つというのに冒頭の写真の海の反対側はというと



そして、まだまだこんなに瓦礫の山...

↓これは何でしょう?

そう、突然に終わる線路はなにか象徴的でした。

↓これは

仮設(?)ローソンと言うべきか。

さて、ブルース・ヒューバナーとのデュオ、フォレスト・ノートは被災地での演奏に来たのです。
こちらは本当の仮設住宅。

以前に訪れた避難所はほとんどが仮設住宅になっている。
相棒のブルースは常に前向きで頼もしく、エネルギーを与える。

みんな一様に「ここに長く住むことになるでしょう...」と諦めとも思えることばを口にする。
でも、明るく逞しかった。
そうでもしないとやっていけないかもしれないが...。

昨年、最初に訪れた太平洋側の印象は、気づかぬうちに私から言葉を奪ってしまってたようだ。
話すことにものすごく慎重になってしまった。
自分がこのことを語ってもいいのだろうか、と。

でも被災した方々と接しているうちに何か変わらないもの、そうたとえば「春の海...」を感じた。
自分の無能さは、それはそれでしょうがないと。もともとちっぽけなのだから。

このマスコット、鮭の子供が成長してまた戻ってくるように。

うまく言えないが、いつかはまた「還れる」のだと感じた。
そしてこのことについてもう話してもいいんだ!と。

「憎いけど美しいこの海を見てください!」とYさんは言った。
海を見ると...自分が元気になれた。

そして、来週は福島。ついに南相馬に行く...

あるまんど山平

秋田市を中心に活動しているグループ、Belle(ベル) Vientos(ヴィエントス)のリーダー。南米アンデスのフォルクローレを中心に秋田の自然や風土をテーマにしたオリジナル曲も評価されている。

あるまんど山平オフィシャルHP